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Free-Med

このページでは、煙薬3巻のコラムで書いたような「本当にやりたいこと」をぶっちゃける。やりたいようにやる。お客さんじゃなく、友達になってくれる人向けに完全にフリー化してしまおうと思う。育てたり調理したり安全確保したりの手間はめちゃかかるけどね。以下のリンクを上から順に作って公開していくよ。

Free-Med関連リンク:

野生で十分濃度の高い種とその育て方

アカシア・アクミナータ
アカシア・コンフサ
ミモザ・ホスティリス
チャリポンガ(ディプロプテリス・カブレラナ)
チャクルーナ(プシコトリア・ビリディス)
ニクズク(Virola)系統

クリプト-ファン栽培法で活性化する種とその育て方

ヤマハギ
アミメグサ

RIMAとなる植物種とその育て方

バニステリオプシス・カーピ
(トケイソウ)
シリアンルー(ペガヌム・ハルマラ)

植物の組み合わせ・飲み合わせまとめ

ミモザ5/アカシア2.5mlミックスセットのレポ

自生地まとめ

ベニテングダケ自生地

種の共有方法について

Free-Med運動について

押さえておくべき倫理面
煙薬3巻のコラム

 

そもそも左のページは何で作ったかというと、勉強や安全にコストがかかる勢のためだ。彼らは他にやりたいことがあって、幻覚見るのとかはその補助でしかない。だから安全とか正しい知識とかの習得はお金を使って他人に投げる。その仕組みがきちんと機能していなければ事故が起きる。
で、その仕組み作りはもともとそういうのが向いている複視点者の他の人に任せる予定だったんだ。でもリスキーだからって全員にやんわり断られた。で、仕方なく自分でやったんだけれども、やってみた結果やっぱり自分はどうしようもなく単視点で気配りができず、仕事が下手で、コミュニケーションも下手で社会と折り合いがつかないということを再認識させられた。やればできるんだけどエネルギーを人より多く使ってしまう。
それでも一つのことを極めたい。そのためにはお金がいる。
幸いみんなの協力のおかげで何とか形にはなったけど、犠牲にしたものも見ないふりをしたものも多かった。

その見ないふりしたものがいま、目の前にある。勉強にコストがかからない勢、サイコアクティブそのものが目的の人、つまり自分と同類の人たちのことだ。
前にフォーラムとして使っていたおーぷん2ch。あれはただ単に荒らしに荒らされたとしか思ってなかったけど、この認識は間違いだった。

荒らしではなく、「間違えてるぞお前」というのをとっても婉曲に伝えてくれていただけだった。

それは、おーぷんの別板で自分より先に同じことをしていた熾さんという人が身をもって教えてくれたことだ。
彼もおーぷん2chで専用の掲示板を立てていたけれども、表面上とても荒れていた。行き過ぎた悪口雑言とアクセス禁止。でもよくよく読んでみて、彼と話して、人と成りを知ったら、その荒れ具合はつまり「なんかお前間違えてるぞ、欠けてるぞ」ということを口悪く婉曲に伝えているだけだったということが良く分かった。
そしてそれは今の自分にも言える。つまり自分も、いつの間にか資本主義にとらわれて片手落ちになっていたことに気付いた。
謝ったら許してくれるだろうか。

端的に言う。見ないふりをしてきたのは「友人」で、この一年間エネルギーを注いできたのは「お客様」だった。
今後は、友人とも一緒にわいわいしたい。その結果、完全フリーになってしまい左のページの意味性が瓦解してお金が儲からなくなろうとも。

 

昔、社会にはもう一つの生き方があった。
それは自然から豊かさを汲み出す人たちの生き方だ。

社会との関わりから豊かさを汲み出す現代の生き方は、それに適さない脳みそを持った自然側の人たちにとって色々なところにひずみがでてくる生き方だ。鬱病について調べれば調べるほど、この部分が元凶になっているパターンが多いことに気が付いた(もちろん逆も多い)。自分の脳みそは大きく自然側に寄っていて、社会に属すると搾取される側に回る。あまりにも奪われすぎて、それがトラウマで嫌儲と呼ばれる思考に陥ったこともある。

この現象を掘り下げていくと、究極的にこの社会での生き方を支えて(助長して)いるのは、家賃の存在だ。
資本主義とは家賃である、とは前に言ったけれども、賃貸の家に暮らし毎日の生活を支えるために賃金をもらうようになると、思考の方向性が固められてくる。その結果生み出されたのが左のページだ。こんなものはアカシア茶を一口飲めば吹き飛んでしまうほどの意味付けでしかない。(無事故教育・無事故普及という役目を終えるまで責任もってきっちりと機能させるが)。

逆に、家賃とかそういうのにほとんど縛られない状態で生み出されたのが小説非常食シリーズだったりケイトライフだったり雑草吸いだったり。そしてもともと自分はこっち側の人間だった。生まれついた時から。何を無理していたんだか。

 

しかし、自然側の生き方にも大きな欠点がある。
生活の強度が弱いのだ。
生まれてから今まで社会の中で生きてきたため、自然から汲み出す知恵をすっかり失ってしまっている。汲み出す自然のありかも土地を提供してくれるまで見つからない有様だったし、農業知識や建築の技術は多少身につけたけれども付け焼刃でしかない。軽トラでの浮浪生活は心こそ豊かだったものの、物質的豊かさとは程遠かった。心の傷や間違った前提のせいで豊かなものから目を背けていた、といったほうが正しいか。
社会オンリーの豊かさと、自然オンリーの豊かさでは圧倒的に前者の方が見目麗しくて豪華で豊かだ。しかし鮮度や旨さや持続可能性などだけは後者のほうが勝っている。

これから先は目の前の豊かなものから目を背けず、観察し、自然と社会両方の豊かさを享受していこうと思う。でも多分それは心の弱さに直面することだと思う。
まずは全ての友人的存在に謝ろう。資本主義におもねったせいで一年も無視し続けてごめん。一緒に自然から豊かさを汲み出す方法を探っていきたい。