Loading...

裁判の行方

今回の騒動について有志の方がまとめ動画を作ってくださいました。感謝!

(上記動画内における起訴の罪名は、正しくは「製造・施用幇助」「所持」「施用」「原材料提供」「原材料提供」「原材料提供」「製造幇助」の7件です)

.


◆2020/07/26 現在の方針

 4ヶ月も勾留されて途中何度か挫けかかりましたが、

・一連の事件に犠牲者や被害者が出ていない。
・精神科医の方から「自殺志願者から自殺衝動が抜けて元気になるという、極めて意義深く興味深い結果が出ている。もしこれで無罪が勝ち取れたなら、アヤワスカを利用した治療研究を一気に進めることができる」と打診があった

 という二点により、最後まで争う決意を固めました。

 争うといっても、悪いことを正当化しようとしたり言い逃れしたりするつもりはなく、「法律を解釈する」という知的なスポーツに興じる、という意味です。人道に悖ることをしたわけではないとはっきり言いきれるので、そのようなことも言えるわけです。

 強制捜査をされて精神にひどい悪影響が出ている方々や、4ヶ月もの勾留で多大な損害が出たことはとりあえずいったん忘れて、スポーツマンシップにのっとり健やかに闘っていこうと思います。

 

◆社会的な意義

 資本主義の台頭によって、費用対効果に基づく徹底して合理的な選択が、古い風習や宗教的義務の縛りを解いたという歴史がまず西洋にありました。
 これで一時は浮かれたのですが、合理化合理化の合言葉が社会のあらゆる面に及びました。
 形骸化した宗教による理不尽な統治よりは良かったし、国体として強かったからそうなったわけですが、同時に労働の人間性疎外が起こって精神疾患がやたら増えました。ざっくりそんな歴史があります。

 日本は別に形骸化した創唱宗教による表立った統治などはなかったわけですが、それでも禅などの古来より伝わる精神疾患へのアプローチ手法があまり日の目を見なくはなりました。そしてそれらの担っていた職責は、すべて精神科病院へと帰属しました。
 しかしながら、精神の問題は肉体の問題とは違い、科学的or化学的アプローチがしにくい分野です。精神科病院にかかった人の快癒率が2割少しといったことから見ても、科学と合理の両輪が轢き潰したこころの問題は、科学と合理だけでは解決できなさそうです。(ただし、職責は精神科病院が担っています。心を病んだ方はまず真っ先に公的機関をたずねましょう)

 最近になってようやく、形骸化する前の宗教=自然宗教という古い古い昔の観念や理想が復古してきました。
 これをうまいこと現状の「一回心を壊したら終わり」の社会と融合させることができれば、ブラック企業の害も減るし、起業に失敗しても再チャレンジできるし、ハラスメントの根元を断てる。こんな公益に資することはありません。

 

◆これまでの活動

 しかし、5年前の現状はとてもカオスでした。
 精神世界のインスタントな入り口であるはずのサイケデリクス(精神展開薬)は現代社会でその意味を見失い、ありとあらゆる向精神物質が濫用され、規制と脱法のいたちごっこが繰り広げられ、死者が多数出ました。私が「危険ドラッグ撲滅運動」という看板を掲げたのはこの時です。
 そこから四年をかけて、入り口を整備しました。

 それでは、危険ドラッグの何がダメだったかを細かく見ていきます。

・内容物がわからない
・その効果がわからない
・どのように扱えばいいか説明されていない
・同じパッケージの内容物をある日黙って変えた
・人体に悪影響を与えるものが入っていた

 なぜ危険ドラッグがこのような形態になったかは、理由があります。度重なる規制により、販売者が法の目をくぐろうとしたからです。
 言い逃れのために「バスソルト」「ポプリ」などと呼称し、規制すれば規制するほど販売者はアンダーグラウンドに逃げました。
 その結果、風呂場で雑に化学合成し、その商品に説明書を添付せず、どのような効果がもたらされるのか使用者に知らせず、パッケージを変える間もなく内容物を変え、変えた結果人体に悪影響が出ようが構わない、そういった販売者だけが淘汰に残りました。

 いたちごっこは2017年まで続きます。
 そのいたちごっこが全盛だった最中、私は危険ドラッグで酩酊した暴走車が人を轢き殺すところを目の当たりにしました。その時の恐怖から、それを終わらせる方法を考えて、実行しました。
 その方法とは以下の通りです。

・内容物をはっきりさせる
  →化学合成物はすべて却下し、植物に限定した。植物であれば手落ちも悪意も出にくいため。
・効果を一定に保つ
  →量を表示し、自分で確かめ、多数の木からとれた同種の木片を一つのボウルで加工し平均を取り、常に一定を心掛けた。
・どのように扱えばいいかを徹底的に説明する
  →海外の篤志家、また国内の掲示板やSNSを使って使用者の心得をかき集め、薬草協会というサイト一ヶ所に徹底して集積した。集積する際、犯罪に使われそうな情報は秘匿した。(この点は検事さんに誤解されていたので強調する)
・内容物は全て説明書に書く
  →サイトを見ない人のために「最低限これだけは心得たほうがいい」点を書いた簡略版を添付し、それについて何度も何度も推敲した。
・人体への影響を常に考え、健康に酔えるようにする
  →提供するにあたって、世界中の酔える草花を収集し自分で試し、その中で食歴も含めて歴史が長く、人体に害がなく、世界で研究が進んでおり、国内法に照らし合わせて問題のないものを選定した。

 信念をもって活動しました。売り手が説明責任を果たし、きちんと顧客のフォローを担当するべき。危険ドラッグを撲滅するには危険でない酔いを危険でない方法で提供するべき。以て公共の福祉に貢献できるように。そういった信念です。
 取り調べの際、「バスソルトとして販売していた、みたいな言い逃れはしないね?」と検事に聞かれた際、「司法のその態度がまさに安全性を損なっていた原因です。どのような罪に問われようが、天地神明に誓って私はそのような言い逃れをしません」と言い切りました。
 以上の活動が、そういった信念のもとでざっと四年間行われました。

 しかし、起訴されました。
 検事によると、DMTを含む植物をお茶にしてはいけないそうです。そんなばかな。

”一人の人間に対してなされた不正義は万人に対してなされた脅しである” モンテスキュー

 DMTは広範な植物に含まれています。アカシアやミモザだけではなく、豆や萩やベルガモットやミカンにだって含まれます。もしDMTを含む植物を水に浸してはいけないなんていう判例が出てしまったら、みかんを扱っている会社やアカシアポリフェノールの会社、ミモザの化粧品会社、ハーブティー業者にまで累が及びます。そんな迷惑を社会にかけるなんて絶対にしてはいけない。それが4ヶ月もの間、自分を踏みとどまらせました。

 

◆今回の件を踏まえたこれからの活動

 まあ正直、民間の限界というものも感じてはいました。どんなにこちらががんばっても説明書を読まない人は出てくるし、値段を上げたとしても未成年者の手に渡ることは防ぎきれないし(ただし未成年が飲むことについての論争はまだ続いています)、危険ドラッグ撲滅という背景だとセッションを一人で行うことが前提になってきて危ないし、保険はきかないし作れなかったし、などなど。
 それに、あまり有名になりすぎても、必要なかった人にまで手を出させてしまう結果に繋がりかねません。もともと危険ドラッグ撲滅、ハームリダクション、つまり「手を出さざるを得ない素因がある人を、悪い人や間違った使い方から守る」という本意があります。必要のない人に手を出させる広報は、その本意から逸れてしまいます。今回の逮捕で大衆の耳目が集まり、そのリスクが大きく増えました。活動の転換を余儀なくされています。

 さて、キーポイントは「集まる、学ぶ、気付く、癒す」で、このうちどれが欠けても機能不全に陥ります。
 これは科学的な裏打ちはありませんが、アヤワスカお茶会を開いてたくさんの方に飲んでもらった結果わかった経験則です。
 ですので、今後は

・コロナと犯罪を抑止しつつ、興味のある方同士が集まって活発な議論ができる場を作る
・その方たちへの全体メールや推奨図書などで学ぶ機会を作る
・公的機関への接続を促し、自らの認知の歪みがどのように発生したのかに気付ける流れを作る
・癒す技術を集積し研鑽する
・アヤワスカに関する事故がどのくらい起きたら規制に踏み切るべきか、その合意形成のためのアヤワスカアラートを提案する

 を行うつもりです。
 具体的には、おそらく

・酔うときは二人一組以上になって、見張る人はスキューバダイビングのような軽い試験を受ける
・危険スポーツ用の保険を適用する
・精神科病院など公的機関に技術が蓄積される。裁判の行方次第では、それら癒しの技術や職責は宗教者や民間業者の手に渡ることになる。ここは今後の話し合い次第。
・宗教者同士がその技術をシェアし、宗教の意義と技術が復古する
・田舎暮らしシェアハウスなど、社会からの一時避難場所を作る
・スピ業界から詐欺一掃、は無理だろうから、被施術者に対し弛まぬ広報を続ける

 といった形に収斂していくと思います。
 この流れの大勢は、今回の判決如何に大きく左右されると思います。
 もし有罪が出るのであれば、シーンはまた違法合法有害無害問わず野放図にスプロールし、いたちごっこが続くことでしょう。健康に酔うことはおそらく人権の一種です。というかそう認めたほうが社会の総コストが低く済みます。検察庁の調べの待機時間に被疑者とされた人々と話してその確信を得ました。

【日本国憲法 13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。】

◆まとめ

”ゲマインシャフトの起源は(ゲゼルシャフトと違って)その構成員よりも古い” フェルディナント・テンニース

 何も社会のすべてが意識変革をする必要なんてさらさらなくて、社会をやっていけない人たちが一旦本質まで立ち返り、再びなんとかやっていけるようになるためのフォローができればそれでいい。私はそう考えます。
 自分の暮らしが何によって成り立っているのか、それへの敬意を忘れません。今回の逮捕に関わった人も、今まで私の身の回りの平和を守ってきてくださった方々です。ただ上に言われた仕事をしただけで、その仕事っぷりがよく見られました。本当に大変な仕事です。感謝。
 これを機に、公的機関との連携が進みます。その結果どのような形に収斂するかまだ予測はできませんが、アヤワスカがその能力を最大限に発揮し、以て社会の役に立つよう尽力します。それが私のアートです。

.

論点:

・お茶を作る行為が違法かどうか
・できたお茶が違法なものかどうか
・お茶を作って飲む行為が宗教行為として認められるかどうか

検事側はまだ他に主張する予定とのことですので、以下は弁護人の主張です。

↓弁護人主張↓

⑴麻薬の定義から除外されている「植物の一部分」である
根拠:
・⑷国際麻薬統制委員会の見解
・お茶は検事の言う「DMTを含有する水溶液」ではない。科学的に正しく記載すると、「植物性アルカロイドや植物性ポリフェノールや粗セルロース塊等を含有するコロイド溶液」である。

⑵化学的変化を伴わず「製造」ではない
根拠:
・大コンメンタールⅠの記載内容
・厚生省薬務局麻薬課が「水で煮出す」という製造方法を想定していなかった
・麻薬原料植物以外の植物の利用を広く制限してしまう

⑶明確性の原則に反する(罪刑法定主義違反)
根拠:
・ヒトの血液、尿、レモン、オレンジの果汁は、「DMTを含有する水溶液」だが、これらが麻薬でないなら基準が法定されていない
・その他にも、DMTが入っているのに規制されていない商品がいくつもある。

⑸宗教的行為である
根拠:
・スピリチュアル体験、サイコアクティブ体験を通じ、精霊と出会い、世界のあり方を再認識する、精神疾患を治療するというシャーマニズムの宗教儀式として行っていた。

⑹麻薬の故意がない
根拠:
・過去の厚労省の見解

↓争点↓

・「溶質」は植物の域を出ない
・「茶殻」が液体中に浮遊、容器内にも付着している
・お茶/尿のDMT含有を立証しようとした検察側の手順の不手際(飲用を立証できていない)
 →精度に問題あったのでは?
 →体内のものとの識別もできない。
 →六日後の尿とともに排出されるという根拠もない。
 →体調や環境の変化によっても体内のDMT量は変化する。
 →尿で出たDMTがもし飲んだDMTであると仮定しても、それがお茶由来なのか直接飲んだアカシアの粉末(植物の一部分で合法であることが明らか)に由来するのかを区別することはできない。

■ 大きな転換点 ■ 

 第十回公判にて、事態が大きく動きました。証拠請求した学術論文の一部が特信文書(刑訴法323条3号書面)として裁判所が採用しました。
 この件について特に画期的な点は、ヒトやラットの体内で麻薬であるDMTが生合成されているという事実を立証し得る文献が日本の公判廷に出されたことです。
 証拠として採用された論文は以下の内容のものです。
・ヤマハギにDMTが含有されている。
・茶外茶として萩茶という文化が日本にある
・ベルガモットがDMTを生合成している。
・ミカン属植物がDMTを生合成している。
・アヤワスカ経口投与後の尿中排出について
・健常者の尿からDMTが検出される
・ラットの脳にDMTが検出された

(引き続き公判は繰り返され、18回目にして判決が出されました)

■ 地 裁 判 決 ■

PDFダウンロード(クリックするとDL)

■この判決の問題点
・「水と混ぜ、それが飲む目的であれば麻薬になる。飲む目的だったかどうかは一般人が見ればわかる」「法律にそんな基準は書かれていないが裁判官は法をそう解釈した」要約するとこのようなことが書かれているが、無茶苦茶だ。それだと普遍的に存在するDMTの場合、どれが麻薬でどれが麻薬でないかという判別を裁判官が一意的に決めることになってしまう。
 司法も人であり、善意だけで動くことがないことは皆が知っている通り。罪刑専断に陥っている。

■この判決文における明確な誤り
・植物という言葉の定義をあえて歪めている。伊藤証人もはぐらかした「植物概念」なるフワッとしたものの中にあれば植物であるという定義を採用している。これは明確な便宜分類であり単なる主観。
・INCBへの問い合わせは無し、という裁判指揮をしておいてFAX文書を無視して話を進めている。
・「通常の判断能力を有する一般人の理解」に全てを集約させすぎ。そこら辺の普通の人が抱く誤解と偏見をそのまま採用しましたと公言しているようなもの。
・対象物が麻薬かそうでないかを判断するのは主観でしかないと公言。
・「違法性の認識がなかったとは言えない」とあるが、違法性の認識は供述でも述べた通り全くなかった。それは分類学上の定義に従ったということを公判廷でも自ら話した通り。便宜分類で裁くならそれは刑罰ではなくリンチ。

■このように恣意的な間違いが含まれた理由
・実は地裁がもっとも恐れている事態は、地裁で無罪判決出したのに高裁で有罪に覆されることらしい。逆であれば責任を追及されることはないらしいので、まずは逃げることに専念したのだろう。
・逃げるためには昭和、というか戦後初期にしか見られないような上記判決を出さざるを得なかった。が、そうすると高裁で覆される可能性が高く、地裁時点で被告人に更なる不利益を課せば予後が悪くなると踏んだ。よって、全て有罪にして検察に控訴する動機を与えず刑をギリギリまで重くするも、執行猶予や追徴金の軽減などで被告人の実質的な負担を慮った、というところだろう。
 それを恩情と見るか逃げと見るかはその人の主観に任される。

(‘A`)y-~ < 高裁へー続く(CV:キートン山田)

.

続きました(以下2022年1月16日追記)

■ 控訴趣意書 ■

控訴趣意書を提出しました。「地裁判決のここがちがう!」をまとめた紙です。高裁で闘うにあたっては、これが最重要書類となるようです。興味ある方はご一読ください。

PDFダウンロード(クリックするとDL)