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鬱、発達障害などについて

二年間のまとめ(2018年12月16日初稿)

この活動を始めるにあたって、最初は自分で試したいだけだったものの、途中から「鬱や発達障害に特効!」と言ってお金を集めて情報を集積させました。

無手勝流で様々な人に試してもらって、確かに良くなったとの報告はたくさん上がりました。が、特に効かなかった、一ヶ月で元に戻ったという人もけっこういますし、悪化したという人も少数います。

で、2年続けてみての単なる感想なのですが、どうも問題提起の仕方を間違えたように思います。

というのは、鬱という言葉も発達障害という言葉も、実は単一の障害を指していません。
様々な見方がありますが、これらはざっくりと「特定の社会で働けない気質や特質を持った人に対し十把一絡げに貼り付けられるレッテル」みたいです。つまり、「農業」くらい広い言葉でした。しいたけ農家とキャベツ農家が全然違うように、十把一絡げなのでそこには内訳があり、内訳ごとに解決策が違います。そして残念なことに、それらは未解決問題として現代社会の道の真ん中に横たわっています。

というわけで、現在まで集まった情報を基に、もしそれらの解決に植物の各種酔いが寄与するとしたらどこに寄与するのかを、再度検討していきます。

 

鬱について

鬱は病名として認定されているので、病名出して素人がやいのやいの言うと医薬医療機器等法に触れます。が、やってみてダメだったらダメとどこかからお達しが来ると思いますので、それまではここで突っ込んで言及します。

 

まず、鬱の発生機序について。

報告されたパターンにはいくつかあって、おそらくここに挙げただけでは済まないでしょう。でもそういった蓄積は今後もやっていくとして。今自分が知り得ている部分だけ紹介。
大きなパターンは以下の通り。

×心的外傷 → ●間違った前提の刷り込み → ■変えられない特性を変えようとする → ▼焦げ付き

このパターンでは、まず心的外傷があり、それに従って間違った前提が刷り込まれるところから始まります。(このパターン外では冬季鬱や低気圧鬱などありますがここでは割愛します)

×心的外傷

子どもを育てる過程で、誰しもが必ずどこかに傷を負います。それは幼い子どもを守るうえで仕方なかったりします。やかんに触らないとか猛犬にちょっかいかけないとか親のアレとか。親の未解決な心の傷を受け継ぐ場合もあります。子どもはそれをしっかりと吸収して大体は生活に生かすようですが、いくつかは合理的な選択の足を引っ張る場合もあります。そしてそれを親の愛と捉える場合も。すごくデリケート且つ抽象的な話題なので言語化しにくいですが、人はこの傷を基にして次の前提をかき集め組み上げるようです。

 

●間違った前提の刷り込み

これは以下のリンクが面白くてわかりやすくてめちゃ詳しいです。
https://togech.jp/2017/03/07/45630

悪意の広告、他人の吹聴、掲示板、ブラック企業の社是、適当なビジネス書など。軽いものだとこういったところから間違った前提は侵食してくるようです。
重いものだと、親の育て方、そこでしか生きられないように追い詰められた末の適応、に由来する例を聞きました。上の軽いやつは昔やってたやり方を思い出せばいい話ですが、こっちの重い方は他のやり方を知らないため重症化する傾向にあります。あと親の愛とも癒着するため本人が手放そうとしない傾向にあります。
精神的な話のすべては、本人が手放そうとしなければ、他人が何をどうしようと絶対にどうにもなりません。絶対に。

 

■変えられない特性を変えようとする

人には変えられない特性があります。これはどうも進化の過程で身に付いたもののようです。世の中にはユングから血液型(非科学)まで人を仕分ける様々な手法が存在しますが、ここでは目的に従い「変えるとバグる」「変えようとすると身体や心が壊れる」という特徴に焦点を当てて分類します。

・複視点/単視点

https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12147677137.html

https://kasakoblog.exblog.jp/25649704/

(前者後者という、ともすれば差別的に聞こえる言葉を、ここでは複視点単視点という言葉に言い換えています)
心屋仁之助さんの提唱している仮説です。二つのリンクで両論を併記しましたが、今現在言えることは「人間の脳には生まれつきそういった傾向がどうやらありそうだ」ということくらいです。
現在この二つを確実に見分ける方法はなく、そのためここでつまずく人がとてもたくさんいます。
芸術系には単視点者になりたくて悩む複視点者がたくさんいますし、社会で働く際には単視点者であることに悩む人がたくさんいます(後述)。
二つ目のリンクのように辛うじて発達障害診断が援用できそうですが、前述の通り発達障害とは、現状に適応できない人に貼り付けるレッテルとしての役を負っているっぽいです。そのため、学校の勉強に適応できない若い複視点者さんが発達障害と診断される例がけっこうあります。そしてその例を見過ごしてこちらの概念に援用した場合、誤診となり重症化します。
なので繰り返しますが、2018年現在この二つを100%確実に見分ける方法はありません。

・4スタンス理論

人には4つの身体の動かし方があって生まれつき人によって違うとする、廣戸聡一さんが創案した理論です。
こちらは上と違って明確な見分け方が幾種類もあり、誤診の心配はあまりありません。
しかし、この4パターンが精神へどう影響するかの研究はまだそれほど蓄積されていません。「おそらく精神や性格の表現型にも影響を与えているだろう」止まりです。個人的には強い相関がみられると思っていますが、統計を取ったわけではありません。
本質主義者か成果主義者か、何を重視するかを左右しているっぽいですが、詳しいことは現状分かりません。しかし、自分と別のタイプの身体の動かし方をすると身体を壊すことから、精神や性格との関連性が立証されれば非常に有力な手掛かりとなると見ています。

・代表システム

人は何かを学習するときに、効率のいいやり方が個人個人で異なります。
耳から聞いて覚える人、目で見て覚える人、身体でやってみて覚える人の三種に大別できるそうです。
これは人によって優先する器官が違うことから来ていて、これも生まれつきだそうです。これは変えると壊れるほどではありませんが、間違えると明確に他者と差が出てきて低迷し、エネルギーを無駄に費やして焦げ付きます。

・その他

おそらく他にも種々あるでしょうが、「変えると壊れる」に限ると今目を付けているのはこんなもんです。他に見つけたら、もしくは「私こういうところにつまずいてた」などあればコメント欄かメールかで報告ください。

 

▼焦げ付き

刷り込まれた前提「他の所には行けない」「自分は人より劣ってるんだからもっと頑張らないと」「頑張らないと愛されない」などなどのせいで、自分の特性と合っていない戦場で勝負をする羽目に陥り、特性を変えようとしてor特性を使わずに仕事してエネルギーを消費してしまう。このことを焦げ付きと呼んでいます。
脳の基礎スペックが高いと、自分の特性が使えないところでも創意工夫で何とかできちゃいます。しかしその迂回経路は大体の場合、エネルギーを超喰います。週2,3ならそれでも頑張れるけど、週5週6でそれをするとなるとエネルギーが尽きてどこかしら壊れます。熱を出す人もいるし、一時的な認知症になる人もいるし、それこそ鬱と診断されて動けなくなる人だって。
大体の人は一旦投入した金やエネルギーを回収しようとやっきになる傾向があるので、この焦げ付き期間が長ければ長いほど重症化するようです。諦められない人の大体は誰が何と言おうと底をつくまでやります。配偶者であろうが親友だろうが関係なしです。

 

 

次に、その予防策について

・自分の特性を把握する

→人には必ず頑張ればできることと、何ら無理しなくとも人並みにできることがあります。努力を推奨する環境だと頑張ってできるようになることを仕事に選択してしまいがちですが、週5で働くのであれば何ら無理しなくとも人並みにできることを選択すべきです。

・ゼロベースで考える

→今やっていることについて成果が挙げられる可能性がどのくらいかを考え、どれだけ積み上げてきていたとしても可能性がなさそうだったらさっさと別のものに移る思考法。大体の仕事は二週間で体がついていくようになり、二年でベテランになるようです。

・「あなたは私ではない」を習得する

→人の言うことはすべて自分に適応できるわけではない、よくて二割、くらいの防衛的な前提を組み込むと、悪意の広告やプロパガンダ、扇動に呑まれにくくなります。

・「あなたは私である」を習得する

→自分の言うことを人に聞かせようとするとき、この支配的、攻撃的な前提に切り替わります。各種酔いを体験していると、今自分がどっちの前提を採用しているかを見分けられるようになります。しかし、攻撃を受けると攻撃の手法ばかり洗練されてひどい事態に陥りがちなので、こっちの習得はあとにしてください。身につけるときは必ず「あなたは私ではない」が先です。

・サイコアクティブ物質に注意を払う

→コーヒー、タバコはドーパミンをいじる側です。つまり覚醒剤と同じグループに入ります。エネルギーの前借りをするものなので、必然がんばる傾向が出てきます。がんばると上記パターンの罠に引っかかりやすくなります。使うなら上記パターンを意識した上で。
酒は麻痺系のドラッグなので、焦げ付いていることを分からなくさせます。依存性も脳の破壊も強く出るので問題を複合化させがちです。

 

最後に、発生後の解決策について

・環境を変える

→社会という言葉もまた農業並みに広い言葉です。せっかく雇用が流動するようになったので、自分の特性に合っていない戦場で勝負するのをやめ、適当にやってればそこそこお金をもらえるところに移動するといいです。
っても、言うのは易し、行うのは難し。突っ込んだ金、突っ込んだ情熱、未知の世界の怖さ、一回しかない青春、新卒採用、親の期待、大学入学金、様々あると思います。それらにフォーカスするよりは、次のステップに進んだ方が有意義な……んですが、そんなこと言っても突っ込んだもんは突っ込んだもんなので容易に変えられないってことは重々よく分かっています。でも首括るよりはマシだと思うので、とことんまでやったら無理せず次に進んだ方が絶対良いです。

リセットの方法として、失恋した女性の切り替え方が参考になったりしますが、大体は酒を痛飲するって方法なので、それよりは植物の各種酔いの方がリセット力高くて健康的だと個人的には思ってます。個人的に。

 

・前提、思い込みを変える

→認知の歪みとか言ったりします。これには有効と思われる手法が二種類あります。
一つは厚生労働省が十年以上前からお金をかけて積み上げてきた研究結果、認知行動療法。これは前例も豊富で科学的(というか統計的)根拠もしっかりとあり、確実有効な手法です。が、患者一人一人に対し非常に手間と時間と技術が必要な手法でもあります。これを医者がやってたらタダでさえパンク気味の外来が完全に機能停止してしまいます。なので、してくれるところは少なく、しかも高額になりがちです。
そのため医者ではなく産業カウンセラーでもなく民間資格のカウンセラーが請け負ったりしていますが、前述の通り技術介入度が高いので正直ピンキリです。ただ、しっかりした前例と積み重ねがある手法であることは間違いありません。大体の治りたい人はこれを正しく受けたら快方に向かうと思います。

認知行動療法についてのリンク

→もう一つの手法は科学的根拠がありません。シータヒーリングという名前がついています。
完全に主観的情報を基にしていて、日本語でググっても浮ついた体験談しか出てきませんが、個人的にめちゃくちゃ良く効いたし使えると実感したので上と並列で紹介します。
真贋の判別方法ですが、お茶会時によく分からないオカルト的なものへの対策をしなくちゃ胃腸炎になるという淘汰圧がまずあって(お茶飲ませて寝かせているだけなのに!)、ありとあらゆる儀式的なものを試しましたが、再現性がはっきりとあって見た目でもわかりやすいものってのはこれと武術くらいしかありませんでした。

さてこのシータヒーリングという方法、やる側も受ける側もいくつかのコツがあって、それらはアカシアの酔いと非常に似通っています。スケボーとスノーボードくらいの差異です。受動的観測、上昇、という概念二つがその共通項で、アカシア茶で酔い終えてからグラウンディングしてーを数度繰り返すと、シラフでも上昇がしやすくなるし、したあとで何かを観測したとしてもそれが能動的に想像したものか受動的に観測したものかの区別がつけやすくなります。
ただし、「しやすくなる」だけなので、知って、やろうとしなくてはできないことに要注意です。何も知らず酔っ払ってるだけでできることってのは非常に少ない&危険です。

 

・ドーパミン依存からセロトニン依存に切り替える

→これは個人的な感想ですが、人はどうやら常時何かに酔っている必要がある生き物らしいです。そして勝ち負けや変えてやろうとする思考はドーパミン酔いを基本に生きている人が陥りがちです。仲の良い人と触れ合ったりペットを揉んだりしてセロトニンを出すよう心掛けると、思考の癖が別物に変わる時があります。
ただし、人によってはずーっとドーパミン酔いで生きてきたためにセロトニン酔いがうまいこと認識できない人がいます。セロトニン酔いを気持ち悪いものだとして遠ざける傾向すら人によってはあります。
こういう場合は、アカシアを何度もしてその酔いに乗っかれるようになると、セロトニン酔いに対して忌避感がなくなり、且つ酔いに敏感になる傾向があるようです。ブラジルの刑務所でアヤワスカが振舞われたりするのはこの傾向に由来するものでしょう。
なお、古今の創作物ではこの二つの酔いをどちらも「愛」と定義しているようですが、それでは健康に悪いので、ここではセロトニンの酔いを「愛」、ドーパミン(モノアミン系)の酔いを「恢(はい)」と呼んで区別しています。セロトニン酔いが微かすぎるせいでこの二つの区別は難しいですが、アカシア茶で何度か酔ってから、人と触れ合ったりする酔いをまず意識し、次にカフェインでがっつり労働するときの酔いを意識すると区別できるようになります。

 

・芸術として音や絵に表現する

それでも、それらすべてを理解した上でも、その傷を握りしめていたい。そういう人は絶対います。そう決断した人は誰にも、たとえ肉親にも変えることができません。当然、植物の酔いなんかでは。そういう人は絵画や音楽、小説、詩歌句などなどに変換して昇華することをお勧めします。大体みんなそうやってる。

 

鬱については以上です。
確かにお茶を飲むと意識が拡張され、見えていなかった部分が見えて、直面してこなかった部分に直面し、治療抵抗が一時的に消えます。しかし、漬け置き洗いの漬け置き以上でも以下でもないようです。それで落ちる汚れの人は落ちるし、落ちない頑固な汚れは洗わないと落とせない。現状そんな結論に落ち着いています。
アヤワスカ治療体系の根幹をなすイカロについては、まだ謎が多いので言及を控えます。

 

発達障害について

発達障害も病名として認定されているので、病名出して素人がやいのやいの言うと医薬医療機器等法に触れます。が、やってみてダメだったらダメとどこかからお達しが来ると思いますので、それまではここで突っ込んで言及します。

 

色々名前がありましたが、最近では「自閉症スペクトラム障害」と一括りにされました。アスペルガーという単語は消え、ADHDとASDという二つの指標で測るっぽいです。

ぽいです、というのは、この括りでは原因を十把一絡げにした表現型の傾向しか表せないため、あまり使い物にならなくて参考程度にしか自分は捉えていません。

スペクトラム、つまり重度から軽度までグラデーションがあると定義したのは、アメリカの製薬会社が薬を売りたいからという圧もあります。

障害、という言葉がよく用いられるようになった裏には、以下の社会の動きがあるようです。ここでは個人の特質と社会の動きに関連付けて論を展開します。

①学校が画一的な教育しか提供できておらず、個々人の特質まで手が届かない
②企業が合理化を唱えて単視点者を切り始めた
③戦後、マチズムによる心的外傷を産業振興で回収してきた

まず、前述した「明らかに複視点者のはずなのに発達障害の診断を受けた人」について。
これは①学校が画一的な教育しか提供できておらず、個々人の特質まで手が届かない ために起きた出来事と自分は見ています。
学校の教育は何十分もじっと椅子に座って受けるものが多く、じっとしているのが苦手な人は向きません。さらに高校になって自主学習優先になると聴覚優位の人はいきなりついていくのが困難になると思います。他にも様々な理由で、学校の勉強に適応できる素質のある人は2,30%しかいないそうです。

そこで、特質があわないために弾かれると、親としては理由が必要なため、病名がつけられ、それが手っ取り早く発達障害と。

複視点者のこの話の回収方法は簡単で、合っている職場に就職すれば簡単に自己実現できます。複視点者は拡大しない社会に適応性が高く、同じ出力を毎日出し続けることができます。ちょうど学歴などがデフレして意味が消えてきたので丁度いいと思います。
と、外野が言うのは簡単ですが、そこに圧倒的に高いIQとエンパスが加わると話は別です。
話の裏の裏までわかってしまうエンパス特有の力と複視点者特有の視点把握力、さらにそれを解析するだけの脳力が加わった時、社会はまるで嵐か竜巻のように彼を翻弄し、手持ちのエネルギーは瞬で尽きます。これも、このパターンも発達障害と一括りにされていますが、内実は全くの正反対。ぶっちゃけどうしたらいいかはまだわかりません。

 

次に、職にありつけないとか職を転々としてなかなか一つ所に勤められないとか、このパターンは②企業が合理化を唱えて単視点者を切り始めた ことによる場合が多いです。(多いだけで必ずこれではありません。上記エンパス傾向が極めて強い複視点者も同じような表現型になります。繰り返しますが現状単複を確定で見分ける術はありません)

単視点者は複視点者に比べて、一定の出力を毎日出し続けることができづらいです。その代わり、ある一定を超えるとゾーンに入ってとんでもない過集中が引き起こされるようになる場合が多いです。(ちなみに今これを書いているのも朝から晩まで過集中が続いているからです)

この話の回収は難しいです。なんせ、③戦後、マチズムによる心的外傷を産業振興で回収してきた という経緯があるため、社会が信仰するそれぞれの宗教を内面化しないと回収されづらいためです。自分はあまり体力がない単視点者なので、生活の固定費をがっつり削りました。これにより、週二でネジ締めでもしたら十分暮らしていけるような体制をなんとか構築できたことで大いに助かりました。軽トラハウスで暮らしてみたり小屋を建てたりコンテナ暮らししたりしましたが、小屋いいですよ小屋。どれだけ過集中しても咎める人がいない。自然環境と相性が良い特質のような気がしています。特有の苦労はありますが。

二つ目の回収方法としては、借金玉さんという方がしている方法があります。自分の特性を理解した上でライフハックを積み重ね、数字が上がればOKの本質的な営業会社に勤める。

三つ目、歌や絵の大家になる。これは金銭的バックアップがないと厳しいです。金銭的バックアップがあれば問題になんてならねーんだよ!という意見はごもっとも。現代社会で歌や絵にお金が回ることってすごく希少になってきて、どうにも単視点者に生き辛い世の中です。ただ、上記一つ目の固定費を削るのに合わせてpatreonやgumroadなどおひねりを受けられる仕組みを活用することで多少復興の兆しを見せています。

四つ目、研究者もしくはプログラマーになる。秋葉原で先人の話を聞くといいと思います。いくつか落とし穴があるけれども大体は職人の世界と聞きました。今はそうでもないのかな? ソシャゲとか企業ITの管理運用とかで違ったりするのかな。わからない。

それぞれのパターンでそれぞれに合った解決策があると思います。しかし、「○○は××だ」という人の付けた意味は大体事象の近似でしかなく、それを信仰していることで生きづらさが発生しているという共通点があります。この見方を変えるには、アカシアの中盤以降の酔いで、全ての事象から人の付けた意味が剥がれ落ちた世界に入ることで色即是空を体感するのが手っ取り早いように個人的には思います。

 

まとめ

結局のところ、戦後の日本が負った帝国主義の敗退の傷、もっと言えばドーパミン(モノアミン)が生む勝ち負けで負う傷が、世代を経るごとに複製され薄まって形を変え名前を変えて表出しているように見受けられます。
このこんがらがった複雑な現象を言語化し、使用するサイコアクティブ物質を目的に応じて切り替え、物語に落とし込み、ドーパミン優位の人がセロトニン優位の良さにも気付くこと。つまり、やっていくこと。これが現在自分の行っている活動の根幹だと言えます。

Q:で、結局鬱に効くの?

A:言葉が広すぎてYESでもNOでもないっす!

 

 

海外での直近の研究結果

「お前の感想なんか聞いてねーんだよ!」という方のために科学っぽいの貼り付けときます。
https://t.co/eSIDlQevVj
2018年6月にハエとラットで実験した、サイケデリクスが脳細胞の可塑性を高めるという研究結果です。
「メタ解析しろやおおん!?」という方は青井の脳みそなんてしょせんこんなもんと思っといてください。

抜粋すると ”これは、うつ病、不安、依存症、および外傷後ストレス障害と戦うのにサイケデリクスが役立つという理論を支持しています” とありますが、数百人に飲ませてみた結果は上の通りです。漬け置き洗いの漬け置き以上でも以下でもない。
これは、「脳神経の可塑性を高める」=「石頭を柔らかくする」=「治療抵抗をなくす」だけであって、そこから先、柔らかくなった頭をこねこねすることはサイケデリクスはやってくれない、ということを表していると見るべきです。

その他のアヤワスカ関連論文はこちら

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